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​vol5.『安加比古窯』

​作家インタビュー

蒲郡市で60年余りの歴史。

茶道に端を発した焼き物『楽焼』の窯元

【安加比古窯】

茶道と陶芸とおもてなしの心を

大切にされる三代目

加藤隆生 先生のアットホームで明るい工房は

​陶芸や茶道の高いと思われている垣根を取り払ってくれます。

​陶芸を仕事にしようと思ったきっかけは?

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 ここ蒲郡に生まれ、祖父・父と、この【安加比古窯】という窯元をすでにしていまして、そこの子供として生まれ、それを継ぐのかと周りにはよく言われていましたが、でも、僕にとってそれは、なかなか負担なことでした。

父が陶芸にものすごく存在理由のように打ち込んで仕事をしていましたので、ある種の「恐れ」のようなものを感じて育っていったんですね。才能とか何かもいると思うものの、才能よりなにより、「これで食っていく」とか「何か作りたいという熱い想い」とかそういう想いがないと到底続かないと、父の背中を見ていてずっと思っていました。

そういう時がずっと続いて、大学を卒業して職を持つという時、僕は結局、全然違う仕事を選んだんですね。

​この仕事をしようとなったのは、30歳になった頃でした。そのきっかけとしては、別の仕事をしているうちにだんだんと、一人の社会人として僕を見てくれる方が、窯元の息子だと、三代目になるかもしれない人間だという立場ではない自分として、いろいろ言って下さるようになって、自分も外からうちの仕事を見れるようになったんですね。

それぞれの世の中のいろんな中で、うちの仕事の良い部分っていうのかな、価値がある部分の何かに気づいた。そんな時、祖父が亡くなったんですね。

祖父は96歳だったんですけど、「作家として全う出来てよかったね。」って言われたんですが、全う出来てないんですね、本当は、、、

土を練ったり、薪を割ったりとても体力がいるんです。だから、父が祖父に「はい」って粘土を渡して、祖父が作ると父が焼いてってことをしたから、祖父は作家ができたんですよね。そして父は、自分の存在理由のように身を途にして陶芸活動をしている。それに答えることが、必要なんじゃないかと思い、地元蒲郡に帰って手伝うようになりました。

幸いなことに、「作りたい」という気持ちがだんだんと、だんだんと湧いてきまして、ずっと思い悩んで、自分で希求してこの世界に入ることが結論として出来たので、今いろいろあってもブレずにやれていることは、とても嬉しいことでありがたい事だなって思ってやっています。

細かい心象の変化は、話すとすごく長くなって、たぶん一泊二日くらいになっちゃうんですけどね。(全員爆笑)

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​☆蒲郡に工房があって思い出に残っていることは?

 うちは陶芸体験される方をお迎えしていまして、2時間の枠でひとつの作品を作るお手伝いをさせて頂いていますが、

当窯の「楽焼」というのは、茶道に端を発した焼き物で、千利休が自分の好みの器でお茶を点てたいと思ったところから始まっているんですね。なので、全国から抹茶茶碗を作りに来られます、東北から沖縄まで。

抹茶茶碗は「使い勝手」や「点て方」・「飲みやすさ」・「使いやすさ」など【用の美】を考え説明しながら一日かけてやることが多いんですが、でも、抹茶茶碗を作りたい方ばかりではありません。そうでない人の方が多いんです。​

子供さんもお年寄りも外国の方もいろんな方がいらっしゃるので、できるだけ奔放に作品を作ってもらうようにしています。

 多くの人は、学校の図工や美術の時間(授業)があって、それで成績をつけられますよね。4や5や二重丸をつけられた人は「自分はできるかも」って思うけど、そうじゃない人は「自分は向いていない」とか、作る機会があっても「ちょっとやめておこう」とか排除してしまいがちなんですが、僕はそうじゃないんじゃないかと思っています。

 表現する機会っていろいろあると思うんですね。写真を撮ったり、文章を書いたり、モノを作ることも。その表現する機会があった時に多分、無意識にもしくは意識的に「それは自分には関係ない」「それは苦手だから」って退けていることがあると思うんですが、僕は『そうじゃないかもしれない!』と言いたいです!

​ 陶芸も好きで来る人もいれば、そうじゃない人もいる。二人いれば一人はそうじゃなかったり、人数が多くなればなるほど、「作りたいものなんてない」とか「できればこのまま帰りたい」なんて人もいるんですけれども(笑)

 でも、無心で触っていても何か必ず形は出来るわけで、出来てくるモノに『これ面白いじゃん!』『これ、こうやって使ってみたら丁度いいじゃん!』って用途を与えてやってもいいと思うんですよね。「湯呑を作ります」って言ったら、細長くてはいけないとか、口が真っ直ぐじゃないと飲みにくいとか、片手で持てないと、とかいろんな用の美があるんですが、アート作品だったらそんなの関係ないですよね。立派な気の利いたものが一個できるというのが目標だとしても、でも『そうじゃないかもしれない』もしかして、このすごく楽しい時間や奔放な時間、気ままな時間を過ごすと、やっぱりそれが何か【形】になるんですよね!

「なんか私表現できたかも!」「なんか面白いかも!」ってなってほしいし、自分を再発見したり、解き放たれたり、少しほぐされたり、元気になって帰ってくださる時、つまりは、その時そういうモノが出来た時のお客様の顔を見ることが僕は好きでそのお手伝いが出来ることや人と関われることがすごく嬉しいなって思っています。

☆すごく敷居が高い場所だと思っていましたが、とてもアットホ-ムで明るいのでびっくりしました。(山下)

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 すごいく言われます(笑)

陶芸家のイメージって髪の毛伸ばしてて後ろで縛ってたり、髭生やしてたり、気難しかったり、作務衣着てたり。

僕は作務衣着てないと「作者の方は何処に?」とか店員さんはいいんで~って言われちゃいそうでなるべく着るようにしているんですが、結局は『ありのまま』でしかないですよね。

​作っていて思うんですが、小手先で何かいいものを作ろうと思っても、限界があったり見えすいてしまったり、底が知れている気がして、もっといい物を作りたいんだったら、極端な話「座禅する」とか「滝に打たれる」とか己が変わらないと結局は駄目なんじゃないかと。つまりは、自分の精一杯や限界とかそういうものが作品に表れているんじゃないかと思うことがあります。

取り繕って難しそうな顔をしたり、話をしたり出来なくはないけど、作品を見たら分かっちゃうとすると、それはすごく滑稽なことなので、僕はやっぱり【ありのまま】をテーマにして『僕はこういう人間だから!好きか嫌いか勝手に決めてくれ』ってさらけ出してってことではあるんですが、それでもやっぱり自分の中で不満足なものを持っていて、自分が変わっていったり成長していくことを大切にしたいとすごく思っています。

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 茶道や陶芸は敷居が高いと思われがちですが「高くないじゃん」って思ってほしいです。ここでは、正座しなくてもいいじゃん、お茶苦くないじゃん、作法分からなくても大丈夫じゃんって。そぎ落としていくと【ただおもてなししたいだけ】なんですね。「お宅でコーヒーを出してあげるのと一緒だよ」と、茶道や陶芸を難しいと思っている方々の前にある『本来ないはずの壁』を取り払ってあげれたらいいなって思っています。

茶室って禅語だとか書道の要素(掛け軸があったり人世句になるような戒めをもらったり)や建築的な要素も、着物は和装で身なりや作法・着付けの要素、花が活けてあったり和菓子があったら季節が加わり、華道の要素も、そして本来の茶道の要素があって、道具も

木や金属だったり焼き物もあって、近代作家の物から骨董的なものもある。茶事という正式なお茶会には懐石料理が出てきます。礼儀作法から道具の見分けまで、『総合芸能』と言われていまして面白い世界がいっぱい広がっているんです。​お茶を習っている人が全部に精通しているかっていうとそんなことはなくて、ほんのちょっとの要素でもお茶って始めたり続けたり出来るんですよね。

​僕はここに訪れてくださった方にできるだけお茶を差し上げながら、皆さんが心がゆったりとほぐされる様な、ちょっと元気になったり、気持ち新たになったり、もしくは自分に何かできるんじゃないかという思いになったり、ポンっとほこりを払っていって下さったら、嬉しいなって。

陶芸と茶道で人に関わらせてもらうことが僕自身もすごく修行だったり修練になっていると思います。

☆茶室にて

 「この黒い抹茶茶碗のぶつぶつって自然に出来るんですか?(山下)」

!すごくいい質問!

結論としては、自然なんです。いろんな表現を狙うんですが、焼き物ってなかなか思い通りにいかないことが多いんですね。実はその黒い抹茶茶碗は思い通りにはなっていないんです。でも、思いもよらないそのぶつぶつが、凄く面白くて気に入っているという部類の茶碗です。作るときから「こういう風になってほしい」っていうのが一応あって、それが思い通りになるといいのですが、大体はそうならない事が多くて、でも『思っていたのと違うけど、すごく面白い!』をってこともあるんです。

もう一方の黒色の中に赤い色が出ている抹茶茶碗は【雁来紅茶碗】といってうちで代々中心の仕事に据えている、65年間ずっとメインに取り組んでいる茶碗の一つです。すごく困難で何年かに一回しかうまくいかないんです。

​狙いとピッタリだとか、狙いと全然違ってたりとかそれぞれですが、すごく面白い茶碗のうちの二つです。

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☆手で作っていくものだから一個ずつそれぞれなんですよね。

そうなんです!

特に黒い茶碗は一個ずつ焼くので、一個一個違うんですね。

一つ一つに狙いがあって、それに照準を合わせるとなると焼き加減がすごく大事になっていきます。

​【楽焼】の窯って小さいんです。​普通皆さんが想像される窯は登り窯のようなものですよね。中に作品を入れて何日間も焚いて焼いて、冷めてから取り出すというのをイメージされると思うんですが、【楽焼】は焼き方も変わっていて、一個から多くても五個ずつしか入らないくらいの窯です。まずは窯だけを熱しておいて、所定の温度になったところに鉄のはさみを使って窯に作品を入れます。蓋をして追い炊きするともう釉薬が熔ける温度になっていきますので、その熔け具合と酸化還元のタイミングを見計らって「今だ!」と感じた時に蓋を開け、真っ赤になっているものをそのまま鉄のはさみで窯から出します。急加熱急冷ってことをして焼いていくのが【楽焼】なんですね。

ほんの少しの何秒かの違いで表情が変わるので一個一個全力で、すごく面白いんですが、すごく失敗もします。黒い茶碗は二つに一つは傷になってしまいます。残りの半分もうまくいくかというとそうではなく、半年間頑張って作ってきたものが全て失敗、、、なんてことも珍しくありません。人生そう簡単に上手くいくもんじゃない、だけど挑戦し続けないと次の一歩もないなと、そう思っています。

黒い茶碗のぶつぶつしているところですが、狙いじゃないんですけれど、すごく面白い感じになっていると思うんです。「計算してとか狙ったんじゃないのに出来ちゃった」すごいラッキーじゃんって話なんですが、これが何回も再現出来て本当の自分の技量ですよね。​これもそう出来るといいなって思っていても出来ていないうちの一つです。

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 僕らの作っていくものって、例えば今月頑張って100個作ったから偉いとか合格だとかそんなのはないじゃないですか。いっぱい一生懸命やったって誰も振り向いてもらえない事もあるわけで、本当に満足感がえられにくいですよね。自分も精進しているとすると「これが渾身の作品です。」と今言っても、来月も来年になっても十年後も同じものが渾身の作ですって言ったら何やってんだって話になりますよね。

​来月や来年や十年後にはもっといいものが出来ていなくてはいけない。となると、自分は精進しなくてはいけないし、いつまでもそれが自分の最高だったら努力も何もしていないってことになっちゃう。

いつも僕らって途中なんですよね。生きていく、制作し続ける限りは今の渾身の作が陳腐なものに成り下がらないといけないなんてすごいつらいことだと思います。そんななかでも救われるのは、そこに自分の想いだとか何かが現れること、今日の自分と十年後の自分は心のありようや何か違うものが表現されてくるかもしれないってところで、ずっと先に振り返った時に、

手で作ったものはその時の自分が投影されていて、「あの時の自分」っていうのが造形物になっているって、なかなかのメモリアルで足跡になるのではと思います。 

また、白い茶碗の中を見て頂くと細かいひび割れがいっぱいありますよね。和の焼き物ってこういう風に

【貫入】っていうんですけれども、使っているとだんだん出来てくるんです。最初は真っ白なものが、使い続けて時を経て、「時代がつく」とか「景色が出る」って言うんですけれども、【変化していく】これは自分が育てるとか、唯一無二のものに完成させていくというような意味もあり『造り手半分、使い手半分』使い込んでいくうちにその人と共に時代を重ね、それぞれ完成されていく、そんな茶碗もあります。

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​☆今のモノづくりについて思うことありますか?

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 大きな社会の流れでいうとAIだとか3Dプリンターだとか、科学や技術というかそういうものに、ある意味の凌駕をされてしまうような部分もいろいろ出来ていってしまうかもしれないという風な危惧を感じる時もあるんですが、何かを作るということは幸いなことにその元を考えることをやるわけなので、最後に残されたフロンティアであり、クリエイティブなことが人間の人間たる所以かなっていうことを思うと、それに関わっていらっしゃる方はすごく幸いだし、関わっていない人にも元気になってもらったり、自分を肯定するツールにしてほしいってすごく思っています。

​☆蒲郡ってどんな街だと思いますか?

風光明媚なところは昔から変わらないし、あれがあるこれがあるということはないけれど、そこが今は【ごちそう】なんじゃないかなって。癒されたりほっとしたり、海も山もあって景色もよくのどかで、海の物も山の物も美味しくって、ものすごく良い所じゃないかと思っています。

​景色だとか気候だとかって変えられないですよね。変えられないすごいいいものが蒲郡にはあって、本当に抱きしめたくなるような気持になります!ちょっと前の僕みたいに、必ずしも素敵で最高だとは思っていない人もいっぱいいると思うんですが、もうちょっと蒲郡の人が「自分のまちっていいな」って思ってくださると、ものの見方が変わって、いろんな動きの中でちょっとだけ自分に自信がついたり、認めたり許したりって事が出来るようになっていくと、すごくいいだろうなぁって思います。

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蒲郡にいるからこそいろんな方と巡り合う事が出来て、気持ちのやり取りみたいなことが出来るってすごく嬉しいことだなって思います。【陶芸】と【茶道】で人と関わるってことをこれからもしていきたいです。

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​ 陶芸 安加比古窯

〒443-0007

愛知県蒲郡市神ノ郷町高松47

〈TEL〉0533-68-6757

     090-9268-4853

〈MAIL〉t.ryusei@gmail.com

〈OPEN〉不定休

(お出かけの際はお問い合わせください)

〈HP・SNS〉akahikogama.on.omisenomikata.jp/

@ryusei47

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